10年以上前の話になりますが、私は京阪五条駅前でバイトをしていました。
当時、五条駅は急行の停車駅ではありませんでしたので、通常、一つ手前の「七条」駅で急行を下車して各駅停車に乗り換えます。乗り換えのスムーズでないときは、七条駅を出て五条駅まで徒歩でいくこともしばしばでした。
ある日、ふとしたことで七条駅を通り過ごしてしまい、次の急行停車駅である「四条」(五条の次の駅です)で下車しました。私はあせらずに四条から五条まで徒歩で行く決心を固めました。なぜなら、いつも「七条」から「五条」、つまり{七条}〜{六条}〜{五条}を徒歩で約7分程度なのだから、{四条}〜{五条}なら単純に4分で到着する予定だったからです。
ところが、意に反し結果は12分かかってしまいました。京都は周知の通り碁盤の目に喩えられ、平安京の昔から坊条制で区切られた桝目を単位として現在にその姿を残しています。私は納得がいかず、地図で確認をしました。すると、どうでしょう、明らかに「四条」から「七条」までの「条」が均等になっていないのです。私の京都不思議探求はここから始まりました。
なぞ解きは次の通りです。
現在の「松原通り」(五条通りの二筋北の通り)が当初の五条通りであったのです。
当初の五条通りは中世より道の両脇に松の木が生い茂っていたのでしょう。人々は「五条」などというような無機的な通り名を好まずに、より親しみやすい通り名を使っていたようです。
〜京の五条の橋の上 大の男の弁慶は〜
この歌碑は現在の五条大橋西詰に建立されていますが、これも本来は当初の五条通り、すなわち、現在の松原橋でおこった事件のことなのです。
現在の五条通りは秀吉の時代に「五条橋」を六条坊門通りに移築し、以後この通りが「五条通り」と呼ばれるようになったようです。
私が10年前にこのことを知っていれば、バイトに遅刻することは無かった筈です。